私は今日も食べる。目の前にはマカダミアナッツが産卵している。散乱している。胃が膨れ上がり吐き気がする。苦しいのは胃袋ではなくのうみそだと気付いているけれど。
私が美しかった頃の想い出は決して悪いものではなかった。学校に通っていた頃は女の子達も男の子達も私と仲良くなりたがった。会社に入っていた頃は上司も同僚も私に寄ってきた。やり方はさまざまだったけれども。それが恍惚でなかったといったら嘘になる。私はいつでも背筋をぴんとはって生きていた。英会話も習っていたし、美容院も月に一度はいっていた。趣味で作った洋服はコンクールで優勝したし、ピアノは教室を開けるほどうまかった。
あの日、梅田の商店街から少し外れた道を歩く私の横を車がつけてきた。窓が開いた。
「なぁなぁ、一緒にドライブせぇへん?」
若い男。茶色い短髪。車の中には他にも男が乗っていた。私は聞こえない振りをした。足を速めた。男はしつこく声をかける。
「ちょっとぐらいいぃやん。お茶するだけやから」
店に入ってしまえば良かった。私はそんなに強くないのに、自分では強いつもりでいたのだろう。男はしつこく声をかけてきた。
「うち、彼氏いてるし」
「ちょっとだけやって。はなしぐらいいぃやん」
私はますます足を速めた。しつこいなぁ、さっさといけや、と、思ってた。男は中にいる仲間と話をして、私の方を向いて笑って言った。
「調子にのるな、ブス。お前なんかどうでもいいねん」
車は私をつけるのをやめて走り去った。むかつく、そう思いながらさっさと歩いた。角を曲がるとそこにさっきの車が止まっていた。男が三人降りてきて、私を囲んだ。短髪の男はにやりと笑った。声が出なかった。すぐに口を押さえられた。もがいたけれど、私は難なく車の中に入れられた。ガムテープで口を覆われた。涙が出た。さっさと店入れば良かった、と思った。怖くて全身が震えた。
「ほんま、このぶすむかつくわ」
「さっさと乗っとけば良かったのになぁ」
「あほやで」
男達はニヤニヤ笑いをやめない。私はただ吐きそうだった。涙はとまらない。車は山のほうに向かった。
六甲山。男達は車を止めた。手足を縛られた私は車から山中に突き落とされた。衝撃で舌をかんだ。痛くなかった。怖かった。
「さっさと脱がせろや」
運転していた男が言った。他の男達が私の服を破って脱がせた。
「こんなん、おもろいなぁ。彼女の服破いたらおこられるしなぁ」
「俺、こうふんするわ」
あほばっかりや、そう思ったらまた泣けてきた。草が体に痛かった。車が数台通りすぎた。夜で誰も何も気付かない。気付いても誰も止まらなかったかもしれないけれど。足の縄を解かれた。運転手の男が私の足を両手で開いた。
「まだこんな力のこっとんねや、たいしたもんやなぁ」
男はかんでいたガムをぺっと吐いた。足を開かれると全身の力が抜けた。頭がぼうっとした。運転手の男が私の足の間で揺れている。痛いはずなのに、痛みも感じず私はぼうっと男を見ていた。運転手の男は弓なりになり、果てた。短髪の男が言った。
「次俺の番なぁ」
男は懐中電灯をつけると、ニヤニヤ笑って私の足の間を覗きこんだ。
「あぁあぁ、赤くなってるわ。かわいそうになぁ」
男は脱ぐと私に押し入った。私はそれでもぼうっとしていた。男が揺れる。私も揺れる。私の中に男の体液が放たれた。私は、子宮まで到達するな、とただ願った。残りの二人が何を話したかはもう覚えてない。全部が終わると男達は私の服を全部破いて山の中に放った。楽しそうな笑い声が聞こえた。口からガムテープをはがされた。でも、私はもう何も言えなかった。男達は私の腹をけった。
「妊娠したら困るやろ」
いたわるように運転手が言った。手の縄を解かれると私はお腹を押さえてうずくまった。男達は笑いながら車の中に戻っていく。私はそれでも死にたくないと思った。
「バッグだけでも返して」
声が出て自分でも驚いた。
「しゃーないなぁ」
短髪の男は札を抜き取るとバッグと財布を窓から放り投げた。車は去った。私はバッグの落ちた方へ這って行った。携帯を取り出して、雪子の番号を押した。
雪子の部屋からは三年間一歩も外に出なかった。雪子はチョコレートが大好きでマカダミアナッツが常備してあった。マカダミアナッツが私の主食となった。朝から晩まで食べつづけた。一言も話さず、ただ食べた。雪子は何も聞こうとしなかった。
「あけみ、お母さんとお父さん、心配するから連絡するでな」
そういって、雪子は私の両親に連絡をした。二人が迎えに来たけれど、私は雪子の部屋から出なかった。二人はごうを煮やして、無理やり私を連れ出そうとした。雪子が言った。
「私は全然かまいませんから。あけみの好きなようにさしたってくれませんか。うちらもう24やし」
雪子は毎日会社であった事をぽつぽつと話した。私は聞いていた。食べる手は休めなかった。
気付いたら三年たっていた。私は厚い肉を身につけた。雪子が言った。
「あけみ、ごめんやけど、好きな人できてん。一緒に住もうてゆわれてん」
雪子から通帳を渡された。両親から送られていたお金は食費以外には使われていなかった。私は出て行く決心をした。
「雪子、ありがとう」
私はここにきて初めて話した。雪子は、うなずいた。私はパジャマを脱ぎ、雪子が買ってきてくれた服をきた。かがみも見ずに私は外に出た。体のあちこちが痛い。一歩踏み出すのも重い。すげぇでぶ、と誰かの声が聞こえた。私はそれに満足した。
どこもこんなデブを雇ってくれはしないと思ったけれど、案外あっさりと就職先が決まった。両親の元には帰りたくなくて、私は雪子の家を出るとすぐに駅に向かい東京へ向かった。新幹線で二時間半。早い。ついてすぐにバイト雑誌を買った。食費だけでもばかにならない私が就職先に選んだのは風俗店だった。店長は私をちらりと見ると言った。
「最近はデブ専が結構増えててねぇ。どこが良いんだかね」
バイト先は思ったよりも居心地が良かった。綺麗にお化粧をした女ばかりのサンクチュアリ。男とは店の中でだけの関係。
「君と一緒だと安心するよ」
と男達は口をそろえる。私は何も言わずにっこり微笑む。足を開く。良い商売。だけど、一つ困ったことが出てきた。毎月通ってくる中村という男が店の外での関係を迫ってくる。
「あけみちゃん、俺、まじで君の事好きなんだよ。一緒にくらそうよ。こんな商売やめてさ。ね」
私はいつものように微笑む。中村は股引姿で続ける。
「裕福な暮らしはさせてあげられないかもしれないけど、きっとしあわせにするからさ」
間抜けな男、股引で愛の告白なんて、そう思いながら私は曖昧に微笑む。困ったのはこの中村の言葉ではなく、その間抜けさをいとおしく思い始めた自分だ。中村の禿げかかった頭は私には安全のシンボルのように見えた。私が店を上がるのは深夜2時だというのに。中村はこのところいつも店の外で待っている。
「あけみちゃん、お疲れ様」
そういって、中村は紙袋を開いた。
「豆腐と納豆と長葱をかっといたからね」
何も言わない私に許されたと感じているのか、男は笑う。
「うれしいでしょ」
そうして中村は私のアパートまで送ってくれる。部屋には上がらず、帰ってゆく。私は上がって、と、言いそうな自分をかろうじて押さえるだけで精一杯だ。中村から貰った長葱を切って豆腐に散らす。働き始めてから少しずつやせてゆく体に恐怖を覚えて、家に帰ると私は次から次へと食べ物を詰め込む。マカダミアナッツは相変わらず産卵している。散乱している。テレビをつけると賢そうな芸人がくだらないことを言ってくだらない客を笑わせている。どこがおもしろいんだろう、そう思いながら、私はスイッチを切らない。どろどろと重い眠りがやってくるまで私は寝転んで食べつづける。
また、あの夢だ。私は全身びっしょりと汗をかいて目覚めた。シャワーを浴びて時計を見ると夕方五時だった。急いで着替えて職場に向かう。ニヤニヤした笑い顔が頭から離れなくて、私は吐きそうになった。歩いてすぐの家を選んで良かった、と思う。電車に揺られたら、一たまりもないだろう。しゃがみこんだ私を人々はものめずらしそうな目で見て通りすぎてゆく。お腹の近くに誰かの足が当たった。ちっという舌打ちと共にその足も遠ざかる。私はのっそりと立ち上がった。
「おはようございます、あけみさん」
店に入ると、店の管理の殆どを任されている中国系の男の子がビール箱を運んでいた。
「おはよう、小林君」
「あれ、あけみさん、お腹のとこ汚れてますよ。だいじょうぶっすか」
「あぁ、だいじょうぶ」
「ならいいんっすけど」
ほとんど話をしない私みたいな女が珍しいのか彼はよく話しかけてくる。影のかかったやせた頬。切れ長の目。茶色く柔らかそうな髪。彼を見るとついうつむいてしまう。待合室には私以外に三人の女がいた。
「あけみさん、おはよう。珍しいね。遅れるなんて」
「ちょっとね」
「あー、さては男でもできたんじゃないの?」
「そんなんじゃない」
彼女達はきっと目覚ましが聞こえないほど深い眠りの中で悪夢にうなされたりしないのだろう。女ばかりの待合室に入ると私は安心する。
「あけみさーん、お願いします。指名です」
小林君が私を呼びに来た。
「だれ?」
「いや、はじめてなんですけど、なんか名前が気に入ったらしくて」
「わかりました」
初めての客が指名をする時いつも、私の心臓はバクバクと音を立てる。昔の知り合いに会うのは嫌だ。部屋に入ると毎晩夢の中で見ている男の顔があった。
「あけみちゃんね、ずいぶん太ってるんだね」
男は私に気付いていない。私は震える足で男のそばに近づいた。男の髪は伸びてもう短髪ではない。疲れた顔で男は私を覗きこんだ。
「緊張してるの?」
私は小さくかぶりを振った。
「初々しいね」
男が笑う。私は胸をかきむしりたい衝動に駆られた。男の目を真っ直ぐ見詰めた。男は少しも気付かない。
「さ、脱いで」
私はそろそろと服を脱ぎ始めた。男の視線がからみつく。
「ふってぇ足してるなぁ」
男が関西弁になった。
「ぶさいくやし。よぅこんな店に雇ってもらえたなぁ」
男はニヤニヤ笑った。
「お前の中なんか入られへんわ。一人でやれ、金払ってるんやさかい」
私は一人でもだえ始めた。男は興奮した表情で私を見ている。私は自分でも驚くくらい濡れていた。私がいくと男は金を出した。私は何も言わずに受け取った。男は来た時よりも疲れた表情で部屋を出ていった。
仕事をあがるとまた紙袋をもって中村が待っていた。
「今日は一緒に食べよ。すき焼きやで」
私は中村の方を見なかった。中村は私を追ってきた。
「たまには、いいでしょ。今日は家にあげてよ」
私は何も言わず足を早めた。中村の表情が変わった。
「おい、ぶす。誰の為にいつも待っててやると思ってんだよ。ふざけるなでぶ」
そういって中村は私に紙袋を投げつけた。よろけた私を中村はけり始めた。
「いけしゃあしゃあとしやがってよ、でぶが。何様だと思ってるんだ」
私は腹をかばった。中村は際限なく私をけった。気が遠くなる。意識の片隅で小林君の声が聞こえた。助けて、声にならない声を出し、私は腹をかばいつづけた。マカダミアナッツのはいっていない子宮を守る為に。
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